我が古里…今昔

ino

2010年09月04日 13:38

私は生粋の宜野湾生まれの宜野湾育ち…

幼稚園から大学まで宜野湾市で教育を受けました(^v^)

そんな私の手元に市報が毎月届きますが、

衝撃を受けた写真が掲載されていたので紹介します。


我が宜野湾市の市報は宜野湾の今昔の写真が表紙を飾っています。

とても懐かしく昔を思い出し、倅にあーだコーダと話しています。

その多くは町並みであったりするわけですが…

今回は空撮だったので

はぁー?


普天間ベースの周辺に広がる緑…
1号線(58号線)と34号線、330号線が見えます。集落は手前の真栄原、大謝名から58号線沿いに大山・伊佐・喜友名・普天間と続きます。330号線沿いはほとんど緑…これは畑とかでしょう。目立っている集落のほとんどは今の米流住宅管理の外人住宅…住民の暮らしは寄り添っているかのようです。

50年後人々は投資して住宅を建て、生活空間を広げました。その代わり緑を代償にして…

それでも足りないので埋め立てをしてでもです。



昔を知る私にはどこが海岸線だったかは覚えています。

それにしてもあの緑が全部…基地以外はみんな住宅になったような感があります。

大山の田んぼもかろうじてありますが、現在を知る人が見れば先はないことと知っています。

残っている緑はみんな基地の中です。基地が緑を残している。海岸線を占める基地の海岸は今もきれいな海ですよね。

時々浦添海岸に足を延ばす私としては複雑です。

親を売って暮らすボンクラ息子のようなやり方(開発)を進めてるような気がしてなりません。

山もそうなのかな?

「大きな国」と名のつく林道は山原のためになったのだろうか?どうしてだれも言わないのかな?

北部の基地の中は手つかず何じゃないかなぁ。

我々は本当に沖縄の文化、自然を踏襲できるのだろうか?

破壊しているのは本当は我々「うちなーんちゅ」なんじゃないか?

「むぬくゆしど わーしゅう」の精神は本当に自立した民族としての誇りを取り戻せるのか?

この写真を観てあなたは何を感じますか?



うーん









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